櫻 間 會
熊本・細川家に仕えた櫻間家
櫻間家は、能楽・金春流の能楽師としてその芸道を守り続けてきました。
文献的にさかのぼれば『平家物語』の「屋島の合戦」にまで至り、平家方の武将として一城を死守しましたが、
源義経の率いる源氏勢の猛攻に耐え切れずに遁走したという記述が見られます。
戦国時代末期から江戸時代初期にかけて能楽師として歴史上に登場します。細川家のお抱えとなった櫻間家は
代々の細川家当主に能を教える家となり、細川忠興公以来続く能を愛好する細川家において
護立公、護貞公とともに舞台を勤め、護煕氏にも能の手ほどきをしました。
明治時代になると、当時の当代・櫻間左陣は、細川護立の招聘に従い東京に移住。細川家の庇護の下、
金春流と、能楽界全体の保存・躍進に貢献し、「明治の三名人」の一人に数え上げられるまでになりました。
次代の櫻間弓川はその芸の玄妙さで名を馳せ、1951年度芸術選奨文部大臣賞、52年日本芸術院賞、
53年度芸術祭大賞を受賞、57年には日本芸術院会員となり、
櫻間金太郎は、アメリカでの巡業を成功させました。
また櫻間道雄は1960年度・67年度芸術祭大賞、69年度芸術選奨文部大臣賞受賞、
70年、重要無形文化財保持者各個指定(人間国宝)になるなど、
能の家として現在の当主・櫻間右陣に脈々と受け継がれています。
『道成寺』の斜入や『邯鄲』の飛込みなど、櫻間家の伝統を今に受け継ぐ数々の貴重な芸を守り、
また、世界に初めて映像で能楽を紹介した『葵上』(1936年収録、NHK「能楽名演集」に現存)の
果たした役割を今に受け継いで、海外への能楽紹介にも尽力することを目的として活動しています。
海外との事業は日本の能を紹介すべく、英・独・伊語などの訳文付きで逓信省が制作した、
初めて能を海外に紹介する映像に出演して以来、代々、海外公演活動を行っています。
第21代となった当代・櫻間右陣も、海外は欧米のみならず、中国・モンゴル・台湾などでも公演の成功を果たし、
櫻間家としての伝統を尊重しつつ、さらに多くの新作能や企画公演を手がけるなど、
能楽のさらなる可能性を模索しています。