4月17日の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は衝撃的な展開でした。
梶原景時によって上総介広常が誅殺されましたね。
5月3日に横浜市金沢公会堂で開催する第25回称名寺薪能「金澤能」の第2部(18時開演)では能「殺生石」が上演されますが、能「殺生石」は上総介をはじめとして横浜市金沢区や近隣の鎌倉と浅からぬつながりがあります。
鳥羽帝が不可解な病気に悩まされていたのが寵愛していた玉藻の前に化けていた狐の仕業だと露見すると、狐は下野国那須野ノ原に逃げました。帝は三浦介義明と上総介広常に命じて退治させましたが、狐の霊は石となって、これを触る人や動物たちを殺すようになった、というのが能「殺生石」に出てくる殺生石伝説です。
以下謡曲本文から
「そののち勅使立って、三浦ノ介、上総ノ介、両人に綸旨をなされつつ、那須野の化生のものを、退治せよとの勅を受けて」
「両介(三浦介と上総介)は狩装束にて、数万騎那須野をとりこめて、草を分かちて狩りけるに」
さて、三浦介も上総介も御家人として鎌倉殿(源頼朝)を支えました。よって鎌倉やその近隣には関わりのある場所があります。3月にいくつか訪ねてみました。
まずは上総介塔。上総介広常の墓です。金沢区内にあります。
広常が鎌倉からこのあと紹介する朝夷奈切通を通って六浦の港を使い、地元上総へ往来したと思うと、この場所ならではの歴史を感じることができます。
京急バス「朝比奈」バス停からすぐのところにあります。(青い標識のあたりの少し手前です)
そこから朝夷奈切通を歩きます。ここはまさに狂言「朝比奈」の舞台です。
切通の途中には「梶原太刀洗水」があります。上総介を討った梶原景時が血の付いた太刀を洗ったとされる湧水です。17日の大河ドラマの放送では最後に「上総介塔」とともに紹介されていましたね。
5月3日の「金澤能」では櫻間右陣師が梶原景時を主人公にした新作仕舞「二度懸」を初披露します。この新作仕舞は一ノ谷合戦での逸話を元に創作されました。(景時が上総介を討った話ではありません。。。)
能「殺生石」から少し逸脱しました。
鎌倉には狐を退治したもう一人、三浦介義明の眠るお寺があります。材木座にある来迎寺です。
義明は石橋山の戦いに参陣しようとしましたが、雨による河川の増水で引き返すことになりました。その途中で、当時まだ平家方だった畠山氏と合戦になり、最後は横須賀の衣笠城で討ち死にします。来迎寺は頼朝がその武勲を讃えて鎌倉に建立したのがはじまりだそうです。
最後にご紹介するのは「殺生石」のワキ・源翁道人(謡曲では玄翁)が開山した海蔵寺です。鎌倉扇ガ谷にあります。能「殺生石」に出て来る説話は源翁和尚の「海蔵寺開山伝」に見られます。
花のお寺として有名らしく、一年中、様々な植物を楽しめるようです。
能「殺生石」といえば那須野ノ原ですが、こうしてみると意外と身近なところに演目を深く知るきっかけがあるのだと感じました。それは能の楽しみの一つでもあります。
今年の「金澤能」第2部は、《「鎌倉殿の13人」×金沢区六浦×能「殺生石」》
という、今年、ここで観るから価値がある公演としてお楽しみ頂けるものと思います。
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